常識の非常識

僕が8歳頃だと思うのですが
赤塚不二夫さんが書いた
4コマ漫画?で
こんなふうなお話がありました
 
「バカな子分
おまえこれわかるか?」
「わからん」
「これは?」
「わからん」
「まあ わからんでよろしい
バカな子分だから
だけど
なんでも抜け道はあるのだ
 いいか 
そこでだ」
「どこでだ?」
 
このやりとりが
8歳の頃から
ずっと僕の頭の中に
キョーレツに残っていて
 
この歳になるまで
もう何百回でしょうか
繰り返し
繰り返し
思い出し続けているのです
 
このお話の
どこが焼き付くように
印象的なのかというと
 
発想の転換
 
なのだと思います
 
「まさか そうは 考えないだろう」
 
をスパッと
切り込んでくる
赤塚さんのギャグは
 
まさに
『常識の非常識』
を気付かせてくれる
心地よさが
あるのだと思います
 
さて
世の中に
“視座”
という言葉があります
 
“視座”とは
ものを観る位置
ぼくはこの位置を
“高さ”だと
考えています
 
“高さ”は“視野”の広さに
つながります
高いところからみると
景色が一望できますよね
それと同じです
 
物事を判断する時に必要な
多様で大量の
事実情報を
高いところから観ると
常に入手できるからです
 
つまり
“視座”の高さは
“視野”の広さにつながります
 
そして“視野”の広さは
360°の
“視点”を用意してくれます
 
いろいろなものの見方で
事実を感じ
分析し
判断できる
 
これは
仕事をするうえでも
必要ですし
「人生の奥深さ」を
堪能するためにも
とても必要で
重要な要素だと思います
 
では“視座”の高さは
どうやって手に入れればよいのか?
 
“視座”の高さからはじまる
ものの見方は
 
実は
赤塚さん的
「常識の非常識」
が土台となって
作られていくのではないか
とぼくは思います
 
先入観や
既成概念を
少し遠くに置いてみて
自分の人生を
おおらかに
眺めてみる
 
さわやかな新緑の季節に
いかがでしょうか・・・