リアル体験

夏休みに入り、若者で賑わう表参道。

帰省した娘と買い物に出かけました。

 

歩いていると

最新のスマホ機能を使って

バーチャルな無料体験ができると声をかけられ

入ってみることにしました。

 

中でも人気だったのが

眼鏡をかけて疑似体験ができる

アトラクション。

スマホがセットされた眼鏡をかけると

森に囲まれた渓流の映像が流れてきて

自分がカニャックに乗っている

錯覚を体験できます。

 

岩を避けながら川を下ります。

映像に合わせて椅子が左右に激しく揺れ

水しぶきを避けようと

無意識に頭も左右に動かします。

次第に川の流れが激しくなります。

すると、前に滝が見えてきました!

…胸が高鳴ります。

流れはどんどん加速して

思わず目を固く閉じます。

ついに落下!

あちこちから

「おぉ~」と感嘆の声が聞こえます。

 

ほんの数分の映像でした。

カニャックを経験したことはないけれど

本当に乗ったような気分になりました。

 

でも…

やはり何かが違う…。

 

そんなことを思っていると

娘がふとつぶやきます。

「これからの時代の“娯楽”って

こういう感じなのかしら…」

 

う~ん。

おしゃれなんだけど

やはり違和感をぬぐえない…

 

確かに川下りのスリリングさや

水しぶきの驚きや面白さ

滝から落下する恐怖など

全て感情が揺れる体験です。

ある意味

これは過去記憶の再現でもあります。

 

わたしの子ども時代には

当然スマホのような

便利なものはなかったけれど

ザリガニを取ったり

木に登って遠くを眺めてみたり

子どもだけで草むらに基地を作ってみたり

心もからだも

無数の刺激にさらされていました。

 

つまり、大量のリアル体験が作り出す

驚きや喜び

不安や期待感など

感情が揺さぶられる

たくさんの体験記憶が

呼び起こされ

混ざり合うことで

疑似体験を作り出したわけです。

 

ところが

体験する刺激のほとんどが

バーチャルな世界から

得るものになる時代が来たら

どうなるのだろう。

人間はどんなふうに育つのかな?

世の中はどんなふうに見えるんだろう?

そんなことをふと考えました。

 

そういえば、いつだったか

高級感を誇る高層マンションの

上層階で育った子どもは

自分が高いところにいる感覚を

持ちにくいとか

全室空調管理になっているので

身体を調整する自律神経が

育ちにくいとか

外遊びが減って体力が落ちるなど

問題点を指摘する記事を

目にしたことがあります。

まさに多様な刺激は

人間を育てる栄養素だ!

と感じたことを思い出します。

 

しかも、リアル体験は

心地よいものばかりではありません。

環境を常にコントロール出来る

わけではないのです。

予想外の出来事に遭遇することも

しょっちゅう。

なんていってもリアルですからね。

 

予想外なことに出くわすたびに

「さあ、どうするか…」と考え

悩み苦しんだ後に

問題を超えていく。

その体験の積み重ねの中に

問題解決力が身についていくわけです。

 

問題解決力とは

過去体験の中からイメージを膨らませて

幾重にも見通しを立てていく

力でもあります。

 

バーチャル>リアル

 

バーチャルがリアルを大きく上回ることが

当たり前の世界になったら

人間の問題解決力はどうなるのだろう?

思いは巡っていきます。

 

不快をどうやって快に変える?

 

この能力は

経験から積み上げられていく

固有な能力なので

その方法の「量」も「質」も

格差がどんどん広がって

いくのかもしれません。

 

そう考えると

不快な体験を恐れない

日々のリアル体験こそが

かけがえのないものになるはず。

子ども時代から

どうやってリアル体験を

積ませてあげられるかが

勝負だなと思うのでした。