徒然草とフランクル

徒然草 第七段
「あだし野の露きゆる時なく」
 
あだし野の露 きゆる時なく
鳥辺山の烟 立ちさらでのみ
住みはつる ならひならば
いかに もののあはれも なからん
世は さだめなきこそ いみじけれ
 
命あるものを見るに
人ばかり 久しきものはなし
かげろふの夕を待ち
夏の蝉の春秋を知らぬも あるぞかし
 
つくづくと 一年を暮らすほどだにも
こよなう のどけしや
あかず惜しと思はば
千年を過すとも
一夜の夢の心地こそせめ
 
住み果てぬ世に
みにくき姿を待ちえて 何かはせん
命長ければ 辱多し
長くとも 四十に足らぬほどにて 死なんこそ
めやすかるべけれ
 
そのほど過ぎぬれば
かたちを恥づる心もなく
人に出でまじらはん事を 思ひ
夕の陽に 子孫を愛して
栄ゆく末を見んまでの命を あらまし
ひたすら 世をむさぼる心のみ 深く
もののあはれも 知らずなりゆくなん
あさましき
 
高校時代に
徒然草に出会ってから
もう何十年になるだろう
 
あれから
ずっと
何百回も
僕は
徒然草を
口ずさんでいるような気がします
 
人間がとる態度
人間のありさま
 
誰かのために
精一杯生きようとする
人間もいれば
 
はたまた
自分の利益と権利のために
髪振り乱して
生き延びようとする
人間もいる
 
人間とはなぜ
こんなにも美しく
そして
あさましいのか?
 
ひたすら 世をむさぼる心のみ 深く
もののあはれも 知らずなりゆくなん
あさましき
 
人間とは何か
を洞察した
この徒然草を
手引書に
 
不条理の越え方や
世の不正に対する
態度の取り方
 
悲しみや苦しみに対する
俯瞰の眼
 
美の鑑賞法
 
苛立ちや怒りに対する
昇華の仕方
 
を僕は学んでいきました
 
世の中に
態度価値(Einstellungswerte)
という言葉があります
 
態度価値とは
オーストリアの心理学者
ヴィクトール・フランクルが
唱えた言葉
 
人間が
自身の運命を
受け止める態度によって
実現される価値のことを
こう呼んだのです
 
人間が他者によって
地位も名誉も財産も
そして尊厳さえも
奪われたとしても
 
人間には
その運命を受け止める
“態度を決める自由”
が残されている
 
彼は そう言いました
 
もうほとんど何も持っていない
状況で
人を恨む態度をとるか
社会を傷つける態度をとるか
 
それでもなお
誰かのために
全体の幸福のために
自分を投げ打つ
貢献態度をとるか
 
それが
態度価値
だと説いたのです
 
その考え方・生き方を
彼は
“それでも人生にイエスと言う”
という言葉で
長年世に伝えようとしました
 
徒然草に流れる
人間の
『実存』という観念と
フランクルのいう
人間存在の在り方
“それでも人生にイエスと言う”
 
僕はこの観念に
自分を殉じようと決めています
 
正しいことを
正しいと
言い続ける人生
それを死ぬまで
曲げてはならないと
誓っています
 
最後に
フランクルの
この文章を皆さんに届けたいと思います
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間が人生の意味は何かと問う前に、
人生のほうが人間に対し問いを発してきている。
だから人間は、本当は、
生きる意味を問い求める必要などないのである。
人間は、人生から問われている存在である。
人間は、生きる意味を求めて問いを発するのではなく、
人生からの問いに答えなくてはならない。
そしてその答えは、
それぞれの人生からの具体的な問いかけに対する
具体的な答えでなくてはならない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ヴィクトール・フランクル 『死と愛』 みすず書房 1961年