朔太郎に襟を正す
ホテルに
3日間
缶詰になって
仕事をしました
清掃も断って
髭も剃らず
書き 考え 見直し
没頭していました
何度か
休憩を取りましたが
その間
『月明かりの森の音』
という
自然音CDを
聴いていました
虫の音が
リーンと
長く静かに続く中
時折
森の動物たちの
鳴き声が
響き渡ります
僕の頭の中では
真夜中の
月明かりに照らされ
動物たちは
影絵のように
映し出されています
目をつむり
きつくなった背中を
解放しようと
ベッドに横たわり
この月明かりの情景に
じっと心を澄ませていると
萩原朔太郎の
一篇の詩が
記憶の底から
流れ出してきました
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夜汽車
有明のうすらあかりは
硝子戸に指のあとつめたく
ほの白みゆく山の端は
みづがねのごとくにしめやかなれども
まだ旅びとのねむりさめやらねば
つかれたる電燈のためいきばかりこちたしや。
あまたるきにすのにほひも
そこはかとなきはまきたばこの烟さへ
夜汽車にてあれたる舌には侘しきを
いかばかり人妻は身にひきつめて嘆くらむ。
まだ山科やましなは過ぎずや
空氣まくらの口金くちがねをゆるめて
そつと息をぬいてみる女ごころ
ふと二人かなしさに身をすりよせ
しののめちかき汽車の窓より外をながむれば
ところもしらぬ山里に
さも白く咲きてゐたるをだまきの花。
[萩原朔太郎詩集 伊藤信吉編 彌生書房より]
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18歳の頃
朔太郎の詩を
読み漁りました
何度も何度も
読み返し
心を揺さぶられ
ぎゅっとわしづかみに
されました
朔太郎の詩は
常に
頭ではなく
からだで感じる詩
なのです
“夜汽車”という
作品であれば
隣に
きものを絡ませ
凭れかかってくる人の
体温を感じながら
そして
汽車の力強い動力と
はるかに響く
汽笛を
ずっと遠くに聴きながら
噛みしめることができる
詩なのです
だから
僕は朔太郎を信頼し
好きになったのかも知れません
口先だけの
表面的な言葉でなく
ほんとうに感じた
正直で誠実な
「自分の事実」を
包み隠さず
語ってくれる
朔太郎という人格に
「信頼」とともに
「凄さ」を
感じたのだと思います
何かを表現する人は
その表現が
他者にとって「有用」である
と同時に
まず
「誠実」でなくてはなりません
人間の本質に対して
常に
「誠実」に向き合っていなくては
なりません
その一直線の
決して人間を裏切らないという
人生を賭けた
「約束」こそが
人の心を打ち
「希望」を与え
「しあわせ」を届けるのだと
思います