詠歌

芭蕉 西行 兼好
そして信玄

 

僕が尊敬する
日本の先人です

 

✿江戸 元禄の世
戦乱から秩序の時代へと
舵を切った綱吉の時代

 

松尾芭蕉は
こんな歌を詠みました

 

としどしや さくらをこやす はなのちり

 

<歌の意味>
毎年毎年 これからもずっと
この桜は花を咲かせていくのだろう
なぜなら 咲き誇ったその花びらは
根元一面に打ち敷かれ
肥やしとなってこの木を肥やしている
この家もこの桜と同じように
子々孫々に至るまで栄えていくのだろうなあ

 

この歌のグッとくるキーワードは
「こやす」「ちり」です

 

今まで樹の上で誇らしく咲いていたけれど
今は幾重にも重なり落ちている“花びら”を
「塵」と表現し
しかし 取るに足らなくなってしまった
この「塵」が
樹を肥やす元となっている
と続けるところが
うならせるのです

 

 

✿鎌倉時代が始まるころ
西行は1190年旧暦2月16日
73歳の長寿で息を引き取りました

 

願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

 

<歌の意味>
願うことなら(現代の)春3月の満月のころ
満開の桜の下で死にたいなあ

 

西行は23歳で出家し
その生涯を諸国を巡る
漂泊の旅の中で過ごしました

 

そんな不安定な
野ざらしの中で死んでもおかしくない
人生を歩んだ西行ですが

 

上記に詠んだ歌に違わず
わずか1日遅れで
かつ満開の桜の花の下で
亡くなったそうです

 

この歌のキーワードは
「願い」「花の下」「望月」です

 

人は 心をこめて 誠実に
一心不乱に生きていけば
必ず 願い通りの 終わりがやってくる
という
“壮絶な意志”を
この歌に感じないでしょうか?

 

 

✿鎌倉時代の終わり
足利尊氏と戦った後醍醐天皇が即位するころ
兼好法師は隠遁生活を選択しました

 

ちぎりおく 花とならびの 岡のべに あはれいくよの 春をすぐさむ

 

<歌の意味>
いつまでも一緒にいようと約束した花と
この岡のほとりで仲良く並び
ああ
どれくらいの春を過ごすことになるのだろうか

 

「ならびの岡」とは京都仁和寺の南にある岡だそうで
今は「双ヶ岡」というのだそうです

 

兼好は死後 ならびが岡で
自分の墓と並んで住むことになる桜の木を想い

 

自分は死んでしまうが
この桜の花は どれくらいの年月を
暮らしていくことになるのだろう
そして
どのような世の中を見続けていくことになるのだろう
と思い遣ったのです

 

この歌のキーワードは
「ちぎり」「ならび」「あはれ」です

 

兼好が
どのような思いで
「徒然草」を書いたのか
偲ばれます

 

 

✿最後に  武田信玄
皆さん知ってのとおり
甲斐の国の英雄です
信玄が生きた時代は
1521年~1573年

 

群雄割拠
上杉謙信と長年に亘り
戦っていた信玄は
新興勢力である
信長を討つ途中で亡くなりました

 

為せば成る
為さねば成らぬ 成る業を
成らぬと捨つる 人のはかなさ

 

<歌の意味>
強い意志を持って取り組めば
ものごとは必ず実現できるものなのだ
しかし 行動を起こさなければ
何事も実現はしないだろう
努力すればできることであっても
最初から無理だと諦めてしまうところに
“人の弱さ”があるのだなあ

 

この歌のキーワードは
「成る」「捨つる」「はかなさ」です

 

 

見えない未来を信じて努力することは
その努力が 万が一報いられなければ
人生を棒に振ってしまうような
大き過ぎる損害を引き受けることになってしまう…
そんな不安がよぎりますよね

 

けれど おそらく
一心不乱に
何事にも一生懸命努力すれば

100%ではないかもしれませんが
先人が詠んだ歌のように

人生は
微笑ましい結果を
私たちに囁いてくれるのでは
ないでしょうか