I was born

1952年に発表された詩人 吉野弘さんの作品『Ī was born』
教科書ではじめて出会ったのですが
僕は何歳だったのか
その印象はほんとうに強烈でした
 
多分高校の教科書なのだろうと思いますが
記憶が主人公と同化しているせいか
中学校で習ったように思えて仕方ありません
 
<以下Wikipediaより抜粋>
『Ī was born』は少年とその父との会話が中心となる散文詩
英語を学習したての少年がある妊婦とすれ違った際
日本語でも英語でも「生まれる」は受動態であることに気づき
ともに歩いていた父にその発見を伝える
父は少年の言葉を受け、かつて友人にすすめられて観察したカゲロウの話をする
カゲロウはものを食べないため口がなく、成虫になってからの寿命も短い
父が顕微鏡で観察したカゲロウの腹には無数の卵が詰まっていた
そのカゲロウの観察から数日後に母が亡くなったことを父は少年に教える
少年は、自分の肉体が母の胎内を満たしていたことに思いを馳せる
 
<以下原文を抜粋>
少年の思いは飛躍しやすい。
その時 僕は<生まれる>ということが まさしく<受身>である訳を 
ふと諒解した。僕は興奮して父に話しかけた。
 
—-やっぱり I was born なんだね—-
父は怪訝そうに僕の顔をのぞきこんだ。僕は繰り返した。
—- I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は
生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね—-
 
(中略)
 
父の話のそれからあとは もう覚えていない。
ただひとつ痛みのように切なく 僕の脳裡に灼きついたものがあった。
—-ほっそりした母の 胸の方まで 息苦しくふさいでいた白い僕の肉体—-
 
 
少年の僕が驚いたのは
人間は『I was born』 生まれさせられる存在だということ
そして人間は母の苦痛と
慈しみに満ちた自己犠牲の上に生まれ出づるということ
 
僕は僕なのに 僕ひとりで大きくなれたわけじゃない…
母の自己犠牲の上に 父の慈しみの上に
姉や友人たちの扶けのもとで 自分をつくることができたんだ
なのに 僕はなんて生意気なんだろう!
すべて自分で獲得したような 
すべて自分で創り上げたような顔をして生きている
僕は僕だけど 僕が僕を創り上げたんじゃない
たくさんの人々のやさしさで
たくさんの人々の扶けを借りて
創られてきたんだ
創ってもらえたんだ
この肉体も この感情も…
ほんとうにありがたい
生意気な僕はみっともない!
 
たぶんこんな気持ちでこの詩を読んでいたと思います
 
そしてあれから35年近く経ち
児童心理学者マーガレット・マーラーの「母子共生」論や
精神科医ドナルド・ウィニコットの「ほどよい母親」論を
学んだ僕は
『Ī was born』
をこんなふうに眺めています
 
人は大人によって創られる
その子らしさは
実は親や大人が与えた刺激に対する適応行動として身に付けたもの
生まれながらの気質より
育ちの環境と
その中で積み上げられた記憶のカタチで表出するもの
 
「積極性」も記憶
「消極性」も記憶
「意欲」は「記憶のカタチ」で作られるのだ
 
だから
その子が持って生まれたものや
育ちの中で身に付けてしまったことを
いかに長所として見立て
社会適応的にいざなうかによって
すべての子どもはより主体的に生きられるはず
 
大人は子どものコーチとして
言うことを聞かない子も
騒ぐ子も
無口でおどおどしている子も
ぼんやり静かにしている子も
その子の特性を
すべて長所にいざなう洞察と覚悟が必要だ
 
親は子どもができるようになるまで
ずっとそばにいて
支え続けなければならない
その子が
いくつになっても
いくつであろうとも
ずっとそばにいて
支え続けなければならない
 
それは
過保護ではなく
人の道の見本を
示し続けるということだ
 
大人があきらめた社会で
子どもは決して育たない
 
だから
僕は妥協しない
正しくないことを
決してしない
その責任を示し続ける
 
それが僕の
“I was born”
生まれてきた使命だから…
 
(哉)